大判例

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福岡家庭裁判所小倉支部 事件番号不詳 決定

少年 J子(昭一九・八・二一生)

主文

少年を福岡保護観察所の保護観察に付する。

理由

(事実)

少年は昭和三五年一〇月発生した浅沼委員長剌殺事件が新聞紙上等に報道されて以来、その犯人Yの境遇が自分のそれと著しく近似しているものと考え、同人にいたく同情し、その行為を正義感に徹した美挙として礼賛すると共に、自己同一化の機制から同人が所属していたという大日本○○党に強い執着を覚えて入党を決意し、同年一一月末頃父にその承諾を求めたが容れられなかつた折から、少年の将来を按じた父の計らいで昭和三六年一月九日福岡市○○町××在住の叔父○本○典の許に預けられ、同人の経営するスーパー・マーケットの店員として働くようになつたが、その間少年の荷物の中から刃渡り約一一糎の匕首一振が発見されたこともあつて、父や右叔父等においてこれを取り上げ、再三少年の翻意を促していたところ、同年二日九日保護者の正当な監護を振り切つて、無断、右叔父方を去つて上京し、東京都台東区浅草公園第一区七号所在の大日本○○党本部に身を置くに至つたもので、同月一一日には東京都荒川区民館で開かれた同党主催の紀元節奉祝国民大会において華やかに入党の宣誓をし、取材中の日本テレビニュース社の記者に対し「左翼の枢要人物を殺したい」等の不穏当な言辞をもらしていること、性格的に爆発、内閉、過感、自己顕示等の偏倚が著しいこと等に照し合せ、将来罪を犯す虞れがあるものである。

(処遇の理由)

少年は四、五歳の頃母の失踪という不幸にあい、多感な小学時代を親戚に転々と預けられて育ち、昭和三二年小学六年生の頃から父を慕つて門司市××の飯場に帰つたが、その環境は少年にとつて余りにも野卑、殺伐であつた上、父は少年に対する愛情に乏しく頑に世をすね、一家を構える意慾もなく独身生活を続け、徒らに少年を放任しがちであつた。少年の本件挙止は少年がこのような恵まれない孤独な境遇にあつて、常に安定した対人的依存、愛情の欲求が満たされず、社会的孤立感を深めていたことに基因するところが大きいと思われる。幸にして少年の右翼的な政治思想は未だ浅薄であり、テロ行為の礼賛から予想される犯罪的危険性も前示の熱狂的環境にあつた当時と較べて多分にその陰をひそめているものと認められるので今更に施設での矯正を施すことは必要でなく又適切でもないであろう。少年から犯罪的危険性を取り除き、少年の健全な育成を期するためには少年に対して安定した依存、愛情の欲求を充足させ、精神的な不安定を解消させ得る温い家庭的な環境を与えることが最も大切なことである。今これを少年の父に求めることは不可能に近いが、叔父○本○典夫妻が福岡市にあつて相当の教養と財力を有し、理解ある態度で再び少年の引取り監護方を承諾しているので少年をその監護に委ねるのが少年の適正な保護に副う所以と考えるのであるが、同人等においても少年の本件挙止を顧て少年の監護に一沫の不安を捨てかねている事情もあり、且つ少年に対しては肉親以外の有識者による適切な助言と補導が必要であると認めるので、少年法第三条第一項第三号、第二四条第一項第一号、少年審判規則第三七条第一項を適用して主文のとおり決定する。

(裁判官 中園勝人)

別紙

調査報告書

一、本件の虞犯の内容

少年は昭和三十五年十月十二日発生した浅沼社会党委員長剌殺事件の犯人Yの境遇が自己と類似せる事から同人にいたく同情し、右翼団体である大日本○○党のあることを識り同党に入党したいという衝動に馳られ、新聞記事その他の切り抜きを始め、同党総裁宛入党の希望を訴えていたものであるが、之が入党に対し保護者である父親の承諾を得るに至らなかつた。

一方父親に於ては少年の○○党入党の翻意を期待して少年を福岡市○○町××在住の実弟○本○典方に預け、同人が経営して居る福岡市○○のFスーパーマーケット店員として勤務させその状況を見て居つた。

然るに偶々少年の荷物の中に匕首類似の短刀一本及工作用小刀一本が発見され保護者に於て之を処分した事もあつた。処が少年は昭和三十六年二月九日午後四時頃保護者に無断にて職場を抜け出し、家出上京し同月十日午後四時頃東京都台東区浅草公園一区七号大日本○○党本部に至り入党を求めて同本部に滞在せり。

少年の家出当時日教組小林委員長の宅に女中として住込み機を窺うと洩して居つた由でこの儘放任して居つては将来罪を犯す虞がある。

二、家族関係

実父 K 四一歳 沖仲仕

門司市大字○○×丁目○村○熊方飯場に食事をし近くに間借りして友人と二人寝泊りする。

実母 S子 三五歳

昭和二十六年に離婚離縁により出奔住居不明

実妹 A子 一四歳

母が連れて出て養育中福岡市東中州新地の芸妓屋に養女にやつて居る。中学一年生

三、家系遺伝関係

父方=祖父生存 祖母死亡

○宝○勇八一歳

男五人 三男死亡欠 父は四男で五番目

女二人

長男貸家貸間業、次男中学校教官、五男会社社長、六男会社営業部長 女二人共中流家庭に縁着せり。

母方=祖父母死亡、弟一人あつたが死亡

幼少の時Z家の養女となる。

母の実父は医師であつたが交通事故で若死にした為Z家の養女に貰われて成長し十九歳の時父Kを養子に迎えて結婚する。

四、少年の住居、近隣、生活等

昭和三十二年九月より門司市大字○○×丁目○村○熊飯場にて手伝いしつつ中学校に通学する。

飯場で二十人許りの食事等手伝い同所に寝泊りする。

○村より月一、〇〇〇円から一、五〇〇円を貰う、学用品、PTA会費等納入して居り未納は無い。

近隣は下級労務者住宅及鮮人住居等で飯場人等男子労務者で環境は良好とは云えない。

昭和三十六年一月九日より福岡市○○町××叔父○本○典方に居住、同地域は普通住宅街であり附近に映画館等歓楽地は遠く環境良好にて叔父と共に市内○○マーケットに通勤、日給二〇〇円にて内一〇〇円を食事代に支払う生活一応安定して居つた。

五、小学校時代

母親の出奔、父親の出稼ぎにより少年は叔父(末弟)○宝○基に預けられ、小学校通学するが転居及叔父○宝○方等へも預けられ四、五回転校し休学も多く進級が二年遅れる。

六、中学校時代

父の稼働先門司市○○×丁目○村飯場に在住し、同市K中学校へ通学したが一年生で出席七七日、二年生で出席三三日で極めて悪く為に成績も下位であつた。

昭和三十五年十月二十日J子は学校を退学したと詐つて登校全くせず○村飯場の手伝いを為す。現在学籍あり在学長欠中となつて居る。学校に於ける学修態度行動傾向に於ては極めて良好であり、教科書、ノート、筆記用具等良く整理整頓され学習意欲も真剣な態度が見られ、喧騒、軽口無く真面目であつた。然し孤独的な様相が窺われ学校へ行つても親しく話す人も居らぬと洩して居つた事がある。

浅沼事件以来云う事が変つて来て○○党に入ろうかと云つたりY少年に同情的な事を話したりした事があつた。

七、交友関係

友人としては飯場の近所に住む中学二年の○本○○子一四歳及同一年○城○子一三歳と通学時一緒に登下校して居つた外に、少年自身福岡で小学校時代の友達で良く文通したという福岡市○○町○川○子高校一年生が居るという。

八、少年の生活史の概要

本籍地出生、父N税務署勤務、祖父母旅館業経営で中流以上の生活状態であり順調であつた。

六歳の時母の出奔、父の出稼ぎに行く等家庭崩壊が見られ、生活環境が一変し叔父の家に転々と預けられ、小学校を変える事五回登校常ならず進学も遅れる。

昭和三十二年九月(十三歳)

父の働き先門司市○○×丁目○村飯場(労働下宿)に来て同市S小学校六年に転入した。

六年二学期に友達と喧嘩し爾来登校せぬ儘卒業する。

昭和三十四年四月(十五歳)

門司市K中学校に入学する、飯場の手伝により遅刻や正常の授業不足は学習の遅れを取戻せず出席不良(一年生七七日、二年生三三日出席)

昭和三十五年十月(十六歳)

浅沼事件以後性情一変、Yの新聞、週刊誌の記事切抜きを始め天皇崇拝を叫び右翼○○党を志す。

学校は退学したと云つて全く登校しない。

その間父親に○○党入党の承諾書を求めて拒否される。○○党本部との文通三、四回あり。

昭和三十六年一月

飯場の小母さん(○村の妻)と喧嘩をした事から父に相談し(父は○○党入党の翻意を考え環境転換の好機として)一月九日福岡市○○町××叔父○本○典方に預ける。同家に居住し叔父の経営する福岡市○○Fスーパーマーケットの店員として働く。

昭和三十六年二月九日夜自己の貯金六千円を持出し無断で上京、大日本○○党本部に到着翌十一日荒川区公会堂に於ける○○党主催の紀元節奉祝演説会場で入党宣誓文を朗読する。

二月十二日父親の保護願により本件虞犯送致、東京家裁より当庁へ移送となる。

九、家庭環境の概況

父Kは大分県日田郡○○村出身で商業○宝○勇の四男として出生、昭和十四年三月県立H農学校を卒業後N税務署に勤務(大蔵事務官)翌十五年二月久留米聯隊に現役入隊し、直ちに満州に派遣され昭和十七年十二月満期除隊し税務署に復職する。

昭和十八年十一月、二十五歳の時Z家の養子となる。Z家は当時日田市で旅館業を経営し養女S子当時十九歳の四人家族であつた。

昭和十九年八月少年出生する。

当時戦時中にて工場疎開あり、小倉兵器工廠の一部転入により空襲等の危険を考え旅館を売却し金を預金する。

終戦を迎え翌二十一年に妹A子出生、父はF税務署へ転勤単身赴任しZ家は履物鼻緒類の卸商を始める。二十二年に税務署を退職し日田に帰り商売に専従したが、預金は封鎖されて居り借金嵩み武家の商法に等しく経済の混乱等で全く失敗に終る。

昭和二十五年に実弟○本○典を頼つて福岡市へ出て同人の資金援助(数百万円)により食糧品商を開店し、翌二十六年に家族を福岡へ呼び寄せる。然るに右商売も不振に終り一方母S子の出奔等家庭内の不和葛藤は全く窮乏に陥り、父の飲酒乱行も目立ち母とも離婚離縁し、少年は父が引取り妹は母が養育を引受ける事で訣別する。

父は商売廃業し少年を実弟○宝○基の許に預け単身出稼ぎに行き、大分県方面の工事飯場やパルプ資材の搬出人夫等流れ労働者となつて転々し全く少年の放置の状態が続く。

昭和二十八年頃福岡へ帰つた時少年が父を慕つて跡を追うので、実弟○基方より連れ出して出身地に住む長兄○宝○方に預けて再び流れ労務者として出稼ぎに出る。

その間長兄○宝○は少年を再び福岡の弟○宝○基の許へ送り届ける(子弟同志の不和から)。

昭和三十一年に福岡市○○に借家し少年J子を引取り日雇稼ぎをするが、仕事が思わしくなく昭和三十二年五月に門司市○○×丁目○村○熊飯場(労働下宿)に来て沖仲士となり、少年を同飯場に引取り就学、通学させ同飯場の手伝いをさせる。

昭和三十六年一月九日少年を福岡市の実弟○本○典方に預け、同人の経営するマーケットの店員に就職させる。

Z家の養父は昭和三十年に養母は昭和二十五年に夫々死亡する。以上にて父は若い頃から飲酒はして居つたが、母と別れて以来相当飲酒量も増し多少乱行も見られたようであるが、現在は酔狂気味は見られ無い由、然し崩壊された家庭の再建とか近親者兄弟の中流生活状態に比し、一家を構え子女の安定した成育を図るとの気慨は見られず、単なる一労務者として筋肉労働により一杯の晩酌を楽しむ状態で、少年に対し関心はあると云うが何等親子としての近親感や信頼感は見られない、全く放任と言つても過言ではない。

然るに今回少年の○○党入党に対しては強く反対して居り、家出に対しても憂慮し保護願を出すと共に、身柄安否を気遣い上京する等奔走している。

少年の○○党執心に対しては週刊誌による同党の訓練内容等を知り、感受性の強い年令層の少年に対し危惧の念を抱き居り何とか其翻意を希望して居る。

一〇、少年の本件の動機と心境について

少年は正規な学習を受けて居らぬが歴史、国語が好きで之を愛読するうち、右翼は愛国心があり日の丸の国旗を掲げるに、左翼は赤旗を振るという事から右翼に魅力を感じて居る折柄、浅沼事件を契機に右翼の記事報道が宣伝されるや、同事件のYの学校を中退し単独○○党に這入り運動を続けた事が自分の境遇に多少類似せることから、○○党入党の衝動に馳られ決意するに至つたと云つて居り、その結果左翼への憎悪感は根強く持つに至つたが、その要人を剌殺するという過激な考えは持つて居らず、且つ日教組小林委員長を剌す等全く根も葉も無いことであると強く否定し、

現在の心境は未成年者として保護者の承諾なく無断で家出をし入党の挙に出でたることを反省して居る旨述べている。

一一、少年の心身状況について

生後疾患なく健康で生理も順調であり現在身体的異常は全く無い。髪は三つ組御下げで色白丸顔で眼太く口唇広い、沈み勝乍ら言語明瞭で真はシッカリした感じを与え、年令に比し多分にませている。

鑑別の結果

別紙報告書の通り

一二、少年に対する社会資源について

叔父○本○典夫妻が少年を引取り保護を承認して居る。

同家は福岡市○○町×番丁にあるが、スーパーマーケット等経営し七十人以上の使用人を持つて居り、少年の境遇に理解も深く且つ相当教養財力があり保護指導力は充分あると認められる。

一三、本件に対する処遇意見

少年は出生以来乳幼児期迄は普通の家庭の子女として順調に育てられたが、五歳頃から家運の破綻と母親の失踪離婚等により家庭は全く崩壊され、父親の労働出稼ぎは少年をして叔父や親戚に預けられ他家にて転々として成長し、小学校を変える事五度遂に進級も二年遅れて中学校に這入る始末であつた。その中学教育も飯場の賄い手伝いの傍とて満足な学修課程は終えて居らない。

その不遇な環境が自然孤独的な感傷に追いやり、両親の家庭的愛情の最も必要と考えられる時期に歪められた境遇は多分に情操的発達を阻害している。

一方父親に於ても優しい思いやりに欠き、親しく語り合うと云う事の無く、よそよそしい態度は近親感や信頼感が持てず、益々孤独性を助長さした結果がその愛情の捌け口を求めて浅沼事件のY少年に見出し、右翼思想へと○○党入党を求めしめるに至つたものと思われる。

然し乍ら此の不幸な環境の中にも拘らず、是迄不良傾向や異常行動は認められず、従順に運命に適応して来て居り特に偏倚な行動等も無いようである。只今回○○党入党への執心が無断にて家を飛出し上京するに至らしめたものである。

保護者に於ては少年の○○党入党に反対して居るが、之は入党後の訓練指導により過激な行動に走ることを憂慮せる為と思われるが、少年の現心境に於て送致事実の如き虞犯性は本資料に於ては到底信ぜられない。

就ては本少年の保護として父親に於て一日も早く家庭を再建し、一戸を構えて世帯を維持し真に暖い理解と愛情を注ぎ育成することが一番望まれるが、現状に於てはその望みは持てない。幸い社会資源として叔父○本○典夫妻は相当教養を有し、会社社長として経済的にも恵まれて居り、少年には深い同情と理解を寄せ引受けて保護教育することを承認して居るので、同家に委託することが少年の幸福を図る為最も適切の処置かと思われる。

仍て本件に於て右の如き保護的措置が認められる上は、特に少年に対し急迫せる行動が認められない限り、特に保護処分の要は無いものと思われる。

故に一応審判の上、少年の将来の行動については冷静な判断と自主的自覚を促し、軽卒行動を慎しむよう厳重に警告訓戒して、法第二十三条二項の処置相当と思料される。

以上

右の通り報告する。昭和三六年三月三日(福岡家庭裁判所小倉支部 家庭裁判所調査官 井上恭助)

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